「じゃあ、頼むよ」
「はい。かしこまりました」
鏡の前に座ったケイトクに、メイドが化粧を施す。すさまじい手際のよさで、ケイトクは女から少年へと変貌した。
「はい。出来ました!」
鏡の中には、”街角の少年”がいた。
「ありがとう、ラナ。このことは…」
ラナは指を振って言った。
「分かっておりますよ。『内密に』ですね」
そう。内密に。
これからケイトクは、あのバロッケリエール家に乗り込もうというのだ。いつのもお忍びとはわけが違う。自分の変装技術は、たかが知れていた。
もう一度、姿見を覗き込んだ。やはりそこにいるのは、街で靴磨きでもしているような少年だった。
「ゼタ、待たせたね。行こうか」
ゼタは椅子から立ち上がった。
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バロッケリエール家。街の中心から少し外れた寂しげな地帯にあるその屋敷は、かつてこの国の”中心”の一つだった。
ギャー…ギャー
どんよりした曇り空を背景に飛び回る烏。もはや人の気配がないわけではないが、その屋敷はあまりに重々しくそびえたっていた。
ゴンゴン
「どちらさまで…っ!」
門番はゼタの顔を見て、返事もせずに門を開けた。
中庭を抜け、内扉を開き、屋敷の中へ足を踏み入れる。ゼタとケイトクが屋敷内に入ってようやく、門番はこう尋ねた。
「あの…一体どのようなご用件で…」
やつれたその表情から、この屋敷の中がどうなっているのか知れた。お茶を運んできたメイドもまた然り。
「国王直々の命でな。当主に会わせて貰いたいんだが」
「お隣の少年は…」
「当主に会わせてくれないか」
ゼタの口調は有無を言わせぬものがあった。門番は持ち場へ戻り、代わりにメイドが、三階にある当主の部屋まで連れて行ってくれた。
階段を上る。
──―――どうなってるんだ、ここは。
ケイトクは屋敷に大きな違和感を感じていた。
ジルコーニに聞いたとおり、召使が少なすぎる。これだけ大きな屋敷で、まだこのメイドと門番以外に出くわしていなかった。さらに、当主の妻はどうしたのだろう。
「ゼタ様」
蒼白なメイドが、その部屋の扉の前でゼタに語りかけた。
「当主様は…まともに話が出来る状態ではございません。それに…いろいろと…その…ご気分を害されるようなことが起こるかもしれません。それでも」
「どうしても会って聞かなきゃならんことがあるんでな。頼む」
ゼタはニカッと笑った。メイドも、ほんの少し笑みを浮かべた。おそらくその時点での精一杯の笑みを。
「では、覚悟ください」
メイドが開いた扉の向こうには、傷だらけの壁が見えた。
と、同時に、ゼタは右方向に強い殺気、いや、狂気を感じた。
咄嗟に避けたのは、大正解で、果物ナイフが左側の壁に突き刺さった。
「出て行け! 悪魔の使いめ!」
ベッドの上で、布団にしがみついている初老の男性。ケイトクは愕然とした。うっすらと面影が残っている。
「このデミアンをどうするつもりだ。寄るな! 来るんじゃない!」
当主デミアン・バロッケリエール。前にケイトクが会った時は、その穏やかで、しかし常に何か腹に抱えている笑いが、ぞっとするほど良く似合っているような人物だった。それが今や、何かにおびえる老人へと変わっている。
「ちょっと席はずしてもらえるか?」
ゼタがメイドを部屋から出した。不安げなメイドに、ゼタは声をかける。
「ダイジョブだって。俺を誰だと思ってんだ?」
メイドはしぶしぶ部屋を出た。メイドが階段を下りるのを見届けて、ゼタはドアを閉める。
──―――ジルコーニが動転するはずだ。
デミアンにそろりと近づくケイトク。
「僕が誰か、分かりますか?」
デミアンはかちかちと歯を鳴らしていた。