翌日、ドルは開口一番こうのたまった。
「ん? なんだか今日は寝不足顔だね。どしたの?」
しれっとした顔のドルに対して、お前のせいだろう! という言葉が咽喉まででかかったけれど、私はそれをぐぐっと堪えることに成功した。
今することは八つ当たりじゃない。
「で? 早くしてよ。昨日言ってた、その…事情っていうやつ」
「ああ、それね。そうそう」
そこで飛びでた言葉がこれだった。
「あの箒とモップ、魔女バーギリアの魔道具かもしれない」
私は耳を疑った。
「はぁ? だって、魔女バーギリアっておとぎ話よ」
おとぎ話の道具が実在するはずないではないか。
断言した私に、ドルはため息をつく。
「僕が渡した論文、読んでないの?」
「論文?」
「ほら、最初に僕が来たときに渡した奴」
最初に貰った論文は、確か魔女バーギリア関連だった。でも、さっぱり理解できなかったことしか覚えていない。
「…読んだんだけど…」
そもそも、家庭教師が持ってきた論文だ。内容よりも、読解力を鍛えるとか、そういう意味合いではないのか?
しかし、よくよく考えれば分かること。私に対してドルがまともに教育しようとしたことが、一度でもあっただろうか。
やる気がないのは、最初にドル自身が断言していたではないか。
「それにはね、魔女バーギリア実在説が書いてあったんだよ。もう。この話するためだけに渡したようなモンだったのに」
ドルは続けた。
魔女バーギリアとおかしな森の中には、確かに箒とモップが出てくる。しかもそれには意志があり、お互い非常に仲がいいことになっている。
「だってさあ、魔道具でモップってそんなにないよね。普通は箒か、召喚した龍か、そんなところでしょ。だから、おっかしいなーって。昔から思ってたわけ」
調べてみようと思い立ち、街で職を探し、論文やら資料やらをあさる。
実家には週に一度の割合で、夜中に帰って翌日の夜中に戻ってくる。
そんな生活をしばらく繰り返す。
「まあ、ちょっと危ない感じの資料もあったから、探すの骨だったんだけどね。ほら、禁書扱いの奴もあるじゃない? 世の中には」
ようやく探しあてたのが、デイジーの住むこのからくり屋敷だったのだという。
しかし、曲がりなりにも資産家の家。入り込むにはそれなりの手はずがいるし、そこまで長期滞在する気もない。顔を覚えられたくはない。
「で、ほら、僕ってこんななりだし、声も男の割には高いほうだし? よし、この手でいこうって」
私にはどうも話の筋が見えてこない。ドルの言わんとしていることが分からない。
「いや、思った以上に簡単に入り込めちゃって。しめしめと思った矢先に、あの騒ぎだろ? いや、ホントに参ったよ、あの家庭教師のヒスにはさ」
──―――あの家庭教師のヒス? ちょっと待って。
「何でドルが前の先生を知ってるの?」
ドルは例のにやにや笑いを始めた。
「鈍いなー、あの時一緒に隠し部屋に入ったじゃない」
…あ。
「うそ…」
「ほ、ん、と」
「ドルが、メイドのデイジー?」
ドルはゆっくり頷いた。
「話によると、紅茶の入れ方が上手だって、僕のこと誉めてくれてたらしいね。ありがとう。うれしいよ」
呆然とする私をよそに、説明を続ける。
「で、そのとき、君が変な顔してたからさ。何かあったな、って思ったわけ。でも、ただのメイドじゃそこまで探れないからさ。あのカテキョおばさんにとってここより条件のいい職場を紹介して、自分が後任に座るっていう手を考えたわけ」
ドルが来てからというもの、私の頭は大混乱だった。
家庭教師の交代がドルによって仕組まれていた。
あのデイジーがドル?
でも言われてみれば、あのメイド。
女にしては背が高く、女にしては声が低かったけれど、男だとすれば背は低めで、男だとすれば声が高かった。
丁度、ドルのように。
「あはは、デイジー、混乱してるね。かわいいなぁ」
ドルが私の頭をそっとなでたが、私はその行動に反発するだけの力も残っていなかった。
「僕の変装アンドメイク術は、中々のものでしょ。おしゃれしたくなったらいつでも言ってね。教えて差し上げましてよっ」
ドルが投げキスをした瞬間、足元がふらついたことを、私は生涯忘れないだろう。