家庭教師しか予定がなかったここまでの生活に、突如散歩という予定が加わったというのに、ドルは全く問題にしていない様子だった。
あたりまえだ。
そもそも家庭教師の仕事をほとんどしていなかったのだから。
「その間ドルはなにするの?」
ドルは椅子に反対向きに座り、『ん?』と、少し遅れて返事をした。
「いや、別に何も。するとしたら知り合いの家に上がりこむか女の子ひっかけてお茶でも飲むか…そんなとこかな」
「ふーん」
女の子ひっかけて? そんなに簡単に…いや、ドルなら問題ないだろう。
こういう鼻筋の通った顔立ちは、モテるのだとメイドが話していた覚えがある。
「おや? 妬いてくれてるのかな?」
「はぁ?」
私は自分の返事がしごく妥当だと思った。妬く? そんなわけあるか。
つまり、ドルは私のお散歩再開の時には、屋敷にいなかった。これが重要なことである。
ちなみに誰と散歩に出たのかと言うと、やはりメイドであった。
「じゃあ、行きましょう」
と、メイドは意気込んで言ったが、実際には近所をくるっとまわるだけ。そんなに気張る必要はない。
日傘をくるくる回したら、メイドにちょっと睨まれた。行儀悪いもんね。当然。
何事もなく散歩を終えると、ドルはもう部屋に戻っていた。
「ちょっと、出てってよ」
「え? 何で?」
「着替えるから」
散歩といっても一応外出用の服を着ている。この服で勉強するのは嫌だ。
「着替えるんでしょ」
ドルは私の言ったことを繰り返した。
「そうよ」
「だからいるんじゃないか」
「は?」
「脱ぐとこ見たいし」
私は大きく息を吸い込んだ。そして。
「出てけバカーーーー!!」
力いっぱいドルの手首を引っ張って、部屋の外に出し、かぎをかけた。
ドアの向こうからは、私の大声で駆けつけた召使たちとドルが談笑する声がする。
なんだか私のほうが閉じ込められているみたいだ。
着替え終わってすぐ、ゆっくりとドアを開けた。
ドルと召使、メイドの三人が、一斉にこちらを向いた。
メイドはドルの服をつかんでいた。
「お嬢様、あの…」
「ごめんなさい。びっくりさせてしまって」
にっこり作り笑顔。こういうのは得意。といっても、召使たちにはあんまり意味をなさないのだが。
「じゃあドル、いい?」
ドルは一瞬だけ目を丸くし、驚いたような表情だった。
「アイサー」
軽く敬礼して部屋の中に入ってきたドルは、私の頭をぽんぽんと二回叩いた。
「何よ」
「んにゃ。なんにも」
の割には嬉しそうだ。
「なんかあったの?」
「まあね」
で、いつもの無駄話。何故ドルとはこうも無駄話が尽きないのだろうかと、自分でも不思議になる。
今日は三時のおやつで一番好きなものとその理由を熱く語って、危うく一日つぶれるところだった。
何故そうならなかったかと言うと、ドルのこの提案があったからに尽きる。
「あ、そうだ! 僕としたことが。今思いつくなんて…」
マカロンは色をつけたほうがいいのかどうか、と言うところで、いきなりドルが声をあげたのだ。
「やっぱ早いほうがいいよな。よし」
何のことだか私にはさっぱりわからない。だからそのまま、『分かりません』という顔をしていた。
「あのさ、今夜、寄るわ」
「どこに?」
「ここに」
「どうやって?」
一応私は女であり、早い場合は結婚している歳だ。若い女の部屋に、夜男が来るなどと言うことが、許されるわけがない。
「モップで」
「何でまた?」
「箒のことでさ」
「え? ちょっとちょっと、それって…」
「じゃ、また」
そう言ってドルはドアをしめて、出て行ってしまった。
部屋の時計を見ると、もう家庭教師の時間は終っていた。